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2009年11月 9日 (月)

林業

 約3年半前に切り倒して積んだままになっていたコナラの丸太のことが、
 ずーっと、気になっておりました。カミキリやシロアリなどの虫が入って
 使い物にならない状態になっているのではないか、接地面が腐って
 しまったのではないかと心配していたのです。だから、木の皮を剥いて
 背割りもしてやり、雨に当たらないようにしてやらねばと思っていたの
 ですが、何しろ、重労働だし、手間も時間もかかるので、ついつい、
 一日延ばしに、ここまで来てしまいました。

 「今年こそ」と毎年思うのですが、ホントに、今年は、「今年こそ」と、
 とりかかりました。松や杉なら皮むき器で簡単に皮を剥くことが
 できますが、コナラは、皮と白木の部分が、しっかりと、くっついて
 いるので、チェーンソーで剥いていかねばなりません。

Img_3177

 もう少し、丁寧にやれば、ここまでボコボコ状態にはならないのですが、
 もうれつな勢いで飛んでくる木くずの吹雪が顔のガードに当たるので、
 チェーンソーの刃先の状態がよく見えなくてこんなことになっちゃい
 ました。でも、この作業、夏にはできるもんじゃないですね。この時期
 でも、汗だくです。それでも、蚊とかアブが、ずいぶん減っていて、
 その点で助かりました。顔のガードの上に防虫ネットでは、ほとんど、
 何も見えない状態で作業しなければならなくなりますから。

Img_3185

 土曜日に4本の皮を剥くことができたので、日曜日は、午前中だけの
 作業ながら、2本くらいは剥くことができるだろうと思っていたのですが、
 結果は、1本だけでした。途中、チェーンが外れて、この張り具合を
 調整したのですけど、これがなかなか難物で、張りすぎると動かない
 (カンリ機に続いて、また、壊れたのかと思ったョ)ゆるんでると、また、
 すぐ外れるので、微妙な調整が必要なようです。「ようです」と言ったのは、
 説明書を、まだ、読んでいないので、体感的な話だけですので。
 それに、そろそろ、切れ味が落ちてきてるので刃を研がねばならぬかも。
 これが、また、手間と時間がかかりそうで、この作業、ホントに、
 「今年こそ」完了できるのかしら。

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2009年11月 7日 (土)

日本女子大桂華寮

Img_3175

 岡山県立図書館の司書の方を30分以上わずらわせて、ついに、書名を
 つきとめることができた、この本に巡り会うことができました。

Img_3176

 岡山市立中央図書館の閲覧用の席は落ち着けそうだったので、できれば、
 読み切ってしまうくらいのつもりで読み始めました。しかし、最初の席は、
 司書席の近くで、相談に訪れた人との会話が気になり、窓側の席に
 移動しました。10月28日の午後は、暖かくて窓はすべて開け放たれて
 いました。最初は、時折入る風が気持ち良かったのですが、だんだんと、
 午後も深くなってくると、少し、肌寒く感じるようになり、窓から離れた席に
 移りました。その席には先客がいて、私より、ちょっとだけ年配のご婦人
 でした。ほどなく、その方は席を立って、代わりに初老の男性が席に
 つきました。考えて見れば、私もそろそろ、「初老の」と呼ばれても
 不思議でない年齢にさしかかっているわけですけど、その男性は、
 65~70歳というところと見えました。ところで、この男性、本を読み
 ながら、しょっちゅう、鼻を鳴らすのです。どうも、それが気になって、
 再び、窓際の席に移動して、4人掛けの、その席には、他に人が座って
 いなかったので、窓を閉めて、しばらくは、読んでいたのですけど、
 本は考えていたほど面白くなくて、集中力が途切れてしまったので、
 借りて帰ることにしました。貸し出しの席は、2、3人の行列ができて
 いたので、横の台に平積みされた本をながめていると、宮部みゆきが
 あったので、ついでに借りることにしました。

 借りてはきたものの、なかなか、桂華寮は読み進まず、一昨日、やっと、
 読み終えることができました。二十年前に見たドラマの印象とは、
 かなり違っていました。山原鶴という女性を中心に描かれていて、
 入学から卒業、桂華寮の寮監となって、やがて、学園を去り、
 茶人として身を立てた生涯の後半がエピローグとなって物語は
 終わります。山原鶴の学生時代の寮生活、卒業後の寮監時代の
 寮生との関わりを記述する中で大正から昭和にかけての日本女子
 大学校の寮の姿を浮かび上がらせようという構成なのですが、
 実在の人物に遠慮した?からか、記述が表面的に流れているように
 思えました。岩倉公の孫娘にしても、湯浅芳子にしても、まるで、
 劇中の通行人みたいな扱いで、特に、湯浅芳子との同性愛関係に
 ついては触れもしていません。寮生の左翼運動についても、このことが
 山原鶴が学園から去ることになる重要事なのに、どうも、掘り下げた
 感じがありません。むしろ、この本を原作としたTVドラマのほうが、
 大胆に取り上げていたように記憶しています。その記憶が、二十年
 経っても、この本を探し出そうとした原動力だったわけで、その点で、
 がっかりしたので、少しばかり、酷な評に傾いているかも知れません。
 でも、昨日から読み始めた、もう一冊借りてきた本、宮部みゆきの
 「楽園」は、読み始めた1ページ目から、引き込まれる面白さです。
 それにひきかえ、この本は、後半には寮生の左翼運動に関する記述が
 あることが目次からわかっていたので、そこからは、きっと面白いに
 違いないと、前半部をガマンして読み進み、後半部に突入しても、結局、
 期待はずれのまま、ずーっと、ガマンした状態で読み進み、読み終えて
 しまったという感想です。ドキュメンタリーとしては、事実の掘り下げが
 甘く、小説にしては人物像の描き方が浅いといったところでしょうか。

 しかしながら、この本の中で取り上げられる女性達の中には、もっと、
 詳しく知りたいと思える女性が幾人もいました。たとえば、小里文子。
 横光利一と、一ヶ月ほど同棲生活を送りながら、身体を許さなかった
 そうなのです。それも、横光の小説にある言葉を借りれば、「だって、
 子供を産む人なんて、それや、下等な人のすることよ。」という一文の
 中に小里文子の恋愛観があるようで、相愛する男女間に接吻以上の
 ものがあるハズがない。男と女が、ヘンな事をするなんて、信じられない。
 殊に愛人同士が、ヘンな事をするなんて、馬鹿々々しくて、考えられないと
 思っていたというのです。他には、この本の中では、珍しく、「きちんと」
 悪口が書かれている井上秀子。山原鶴が学園を去らざるを得なくなった
 要因となった人物なので、悪く書かれて当然なところはあるのだけれど、
 この井上秀子のことをネット上で調べていたら、宮田文子という魅力的な
 明治生まれの妖女がいたことを知り、そういう出発点として、この本は、
 読んで良かった本ということになるのでしょう。

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