家族による痰の吸引(4)
自分の家族への痰の吸引については、家族が資格を授与する権限を持つ
というアイデアを思いついたとき、マイナスの認定もできるようにしたら
どうだろうかというアイデアも、同時に浮かびました。たとえば、看護師
なら、誰しも、痰の吸引を行う資格を持ってるのでしょうが、経験とか
得手不得手で、下手な看護師っていると思います。そんなとき、家族は、
(自分の家族に対する行為のみが対象で)下手な看護師とか、危険に
対する配慮が足りない看護師に対して、痰の吸引を行う資格の認定を
取り消す権限を与えてはどうかというアイデアです。実は、資格がない
のに医療行為が行った場合と同様に資格があるからといって、どんな
医療行為でも行ってしまう場合にも危険性がつきまといます。たとえば、
高齢の医者が、若かりし頃に憶えた方法を頼りに、衰えた視力と不自由な
手を使って何らかの医療行為を行えば、怖いでしょ?でも、そういう
医者がいる病院には行かないことで、実質的な拒否権を行使できますが、
大きな病院において、あぶなっかしい看護師だからと言って拒否する
ことは、意外と困難です。でも、命に関わるようなことなら、拒否する
ことで、結局、双方の利益が守られたりすると思うんですけどね。
そもそも、看護師もそうですが、医師免許なんて、なんらかの不正なり、
事故があって停止したり剥奪するんじゃなくて、定期的に更新が必要な
ようにして、未然に防いで欲しかったりします。でも、これは、別の
テーマなので、アイデアを提示するだけにします。
家族といえども、医療の有資格者なので、在宅で介護してたけど、症状の
変化や定期的な検査などで入院が必要になった場合に、望めば、入院中も
家族が痰の吸引を行うことができるようにするというのも、大切ですね。
そうすれば、下手な看護師に任せてしまわずに済むし、必要な場合には、
指導を行うことだってできますよね。
家族が有資格者になることで、もうひとつの大きな目的を達成できるかも
知れません。実は、現在の介護保険などの仕組みが、わかってないので、
そんなバカな…と言われる思いつきである可能性があるのですが、家族が
在宅で介護する場合、介護報酬が支払われるようにすべきだと思います。
これは、有資格でなくても、認定権がなくても、今のままでも、報酬を
受け取れるようにしてもいいのでしょうが、そうすると、一般的な老齢者
への介護に対しても支払わねばならないのかと議論が複雑化すると思える
ので、ケアプランの中で、在宅中の医療ケアが必要と認められれば、当然、
そのケアを行うプロとしての家族に報酬を支払うべきだと訴えるのです。
ただし、家族が認定権を使って有資格者としたボランティアとか、親戚の
人とかに対して、支払うべきかとなると、議論が必要なところです。
そんなときには、別々の最低3家族以上から認定を受けた者なら、プロと
認めるとか、いろいろ、定めねばならないこともあるでしょう。
また、制度を悪用した不正受給を防止するため、支払いは現金ではなく、
ポイント制を導入するというのも考えられます。この介護報酬ポイントを
上手に使えば、集中的に何人もの介護福祉士を雇って、不可能と思われた
長期間の海外旅行に夫婦で出かけたりもできるでしょう。それに、切実な
問題として、お子さんが被介護者の場合、加齢によって両親による介護が
いずれ、できなくなってしまうことへの不安も、貯蓄した介護ポイントを
残すことによって、兄弟とか、孫に託しやすくなることもあるでしょう。
家族が介護する場合も、社会がコストを支払えば、本来、社会が担うべき
介護を家族に押しつけて来たという事実が明らかになります。つまり、
社会が個人に対してフリーライドしてきたことを強く認識させることが
できます。実際に膨大なコストが新たにかかるとなれば、早急に社会が
介護する仕組みを作って、コストダウンさせる必要が生じてきます。
さらに、医療機器の更新や、新たな開発、近未来的には介護ロボットの
開発など、人手を使わない介護を普及させて人件費を下げようとすること
でしょう。機械化が進めば、訓練の難易度も下がって、有資格者の拡大に
繋がっていきます。
実は、家族介護の有償化には、医療機器を開発を促進させるという側面も
あるのです。今ある技術で作ることができる革新的な医療機械あっても、
価格が高くて市場に受け入れられないでいるとしましょう。でも、家族に
タダ乗りして不当に下げられた状態であるから、高いと思われるわけで、
コストが正当なものになれば、その価格のままでも、十分にリーズナブル
だと判断されて、購入されるようになります。売れれば、大量生産できる
ようになって、生産コストが下がります。価格も下がり、さらに売れる
ようになって、いい機械が、どんどん、普及するようになります。
そうなれば、世界市場に対して競争力が増すわけですから、売り上げが
増え、利益を生まれ、技術開発への投資も増えていきます。そうして、
国全体として増大化した介護コストが、介護のための市場獲得によって
回収されるということになっていくのです。なっていくというより、
そのように持って行くのが政治なり行政の本来の役割なんですね。
24時間、身も心も安まることなく、死への恐怖に押しつぶされそうに
なりながら、社会の支援を受けることができずにいる状態は、到底、
健康で文化的な生活とは認められず、これを放置すれば、憲法違反です。
そのことを厚生労働省 福祉人材確保対策室の翁川純尚室長補佐に
訴えましょうよ。これ以上、タダ乗りしないでくれと。資格取得のための
研修制度の整備を法改正という納期に間に合わすことができなかった
犯人は誰なのか問い詰めましょう。これで、介護疲れによる無理心中が
起きたら、未必の故意による殺人ですよと通告しましょう。そうすれば、
予測不能だったとの言い訳は効きません。今の状態を「少しは」良くする
というのではなく、根本的にどうすればいいかを考えねばなりません。
痰の吸引にかかるコストを顕在化させるためにはと考えて、家族の医療
行為の有資格化というアイデアにたどり着きました。コストの顕在化には
他の方法もあることでしょう。ありとあらゆる方法の中から、有効な物を
発見したり創出する上で、日本の官僚って、優秀です。でも、単にお願い
するだけでは彼らは動きません。衆議院選が迫る今がチャンスです。
すべての候補者に、家族の窮状を訴えて、どうするのか、どう取り組むのか
取り組まないのか問いましょう。それは、彼らに課題の存在を明示する
手段です。やってくださいとお願いすることではないのです。やれと
命じなければなりません。民主主義とは、そのように行使する物です。
多数決や票をまとめる力だけが、何かを決めるのではダメなのです。
やらねばならぬことをきちんとやるのが政治です。家族が医療行為を
行うことの有資格化について、Yes か No か、すべての候補者に対して
ぶつけてみませんか?
厚労省の役人は、アホではありません。何が課題なのかハッキリさせて、
その課題は、すぐに解かねばならない問題であることを認識させ、解が
あることを示し、もし、放置すれば、役人その人に責任問題がふりかかる
ことをわからせれば、必ず、答えを出します。
でも、その前に、今回、痰の吸引にについて考えるまで、そんな課題が
存在していることを、私自身は、まったく、認識してませんでした。
まずは、知ること。それが、最初の入り口だと強く感じています。
現在、Google で、「痰の吸引」という検索語では、このブログは、
7ページ目にしか表示されませんが、「家族 痰の吸引」という2語で
検索すると、最初のページに表示されます。こんな、ネットの片隅で
声をあげることで、何らかのメッセージを発信できるのですから、より
多くの人に伝えれば、よりよい方法が産み出されていくと思うのです。
私も、引き続き、何が出来るか考え、行動していきたいと思います。
最近のコメント