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2011年8月20日 (土)

お盆なのに、ほっとけ。 IV

 昨日、待望のカーブミラーと取り付け金具が届きました。この連休を
 使って是非とも取り付けしたいと思います。NTTの担当者の方から
 フォローの電話があったので、使用期間が、24年3月31日までとなってる
 件で、毎年、更新のための届けを出さねばならないのかと質問すると、
 NTTと私のどちらからも、変更や解約の申し出がなければ、承諾書は
 自動更新されるんだそうです。よく読むと、承諾書にも、その旨、記載が
 ありました。

 山頂小屋での楽しい食事&会話のひとときを過ごしたあと、13時前に
 下山を開始しました。登りとは違って東尾根をたどるコースです。
 いきなり、山頂小屋で知り合った方、ふたりに追い越されましたが、
 登りほど人に会うことは少なく、下から登って来る人は皆無でした。
 下り始めて、まもなく、古生沼がありました。なんでも、西日本唯一の
 高層湿原なんだそうで、湿原大好きな私としては、見ずにいられません。
 湿原は、全体をフェンスで囲って保護されていて、直接見ることが
 できないようになってました。でも、そこにあるというだけで満足。
 もし、心ない人に踏み荒らされたら、ひとたまりもなく消滅してしまい
 ますしね。

 神大ヒュッテのところで左に折れて東尾根を降りていきました。
 この道は、親水公園からのキツイ登りに比べると格段になだらかで
 歩きやすい道でした。案内図には、途中、人面岩があることになって
 ましたが、それらしき岩も標識もありませんでした。ひょっとすると、
 ずいぶん前に人面魚が流行ったときに、土地の誰かがネーミングした
 ものの、その後、人面ブームが去り、登山者たちの「どこが人面?」の
 ブーイングが起きて、標識を取り去った?などと想像したのですが、
 単に見落としただけかも知れません。

P8140010

 東尾根避難小屋に到着しました。ここから、左に折れて東尾根登山口に
 向かいましたが、急な木階段が、分岐点から登山口まで、ずっと続いて、
 もし、これを登ったらヒザがガクガクになるだろうなあと思いました。
 東尾根登山口に降り立ったのが、15時ごろだったと思います。登山口
 一帯は、氷ノ山国際スキー場のゲレンデで、夏の利用者のために、よく
 整備されたキャンプ場がありました。そこのトイレがスゴクきれいで
 檜の香りが満ちていました。各便器のところに15cm角ぐらいの檜の板が
 貼られていました。香りが落ちてきたら取り替えるのでしょうね。

 少し歩くと国際スキー場のヒュッテ群があり、当然ながら、全部閉まって
 ましたが、その中のひとつに飲み物の自動販売機が見えました。さて、
 動作してるかな?と近づいてみると、横のベンチにスキー場関係者らしい
 おじいさんが座っていました。「この販売機、動いてます?」と聞くと、
 ぶっきらぼーに「動いてる」というので、小銭を入れて、ボタンを押すと
 Qoo のリンゴジュースが二本転がり出てきました。これが、「くぅぅ~」
 ウマかった。スゴクスゴク、ウマかった。持って上がった飲料は、
 東尾根避難小屋の所で全部、飲み干したし、気温は山だから二十数℃
 ってとこでしょうけど、やっぱり、暑いし、冷えたジュースは、何よりも
 ごちそうでした。

 東尾根登山口から親水公園までは、ゆるやかな下りが続く林道ですが、
 残念ながら、アスファルトの道で、ときおり、自動車も通ります。
 2.5km の道のりを40分ほどかけて出発点の親水公園に到着しました。
 着替えて、hana ちゃんに乗って、近くのとがやま温泉天女の湯につかり、
 二人とも、生き返ったのでした。

                                      おわり

2011年8月19日 (金)

お盆なのに、ほっとけ。 III

 会社の畑で収穫したインゲンと枝豆を女房に調理してもらったのを会社の
 みんなに昼食時に食べてもらいました。インゲンは、ちょっと固くて噛み
 切りにくい感じ。こちらの方言では「しわい」と言うんですけどね。
 標準語で表現しようとすると、むつかしい。枝豆は、やわらかくて甘い
 のですが、全体的に豆が小さい感じ。収穫時期が早すぎたとも思えない
 ので、やはり、栄養不足だったかも。で、どちらも、大好評!とは…
 いきませんでした。作った人と食べる人の温度差があるのでしょうか。
 それでも、とにかく、収穫物を提供できたので、ひとつの区切りは越えた
 かな。

 昨日、NTTから許可証が届きました。封筒に切手が貼ってなかったので
 担当者の方が直接、持ってきてくれたのでしょう。カーブミラー本体の
 ほうも、17日に発注したので、そろそろ、届くハズ。

 17日の夜は盆踊りで、終わったあとの片付け当番だったのですが、集合
 時間を聞き間違えたようで、8時半に行ったら、あらかた、片付けが
 終わりつつある状態でした。これまでのように、21時までやるのでは
 なくて、20時に終了したのでしょうね。これも、近隣や、保護者たちの
 苦情などが原因で開始時間を早めたのでしょうか?何時から開始だった
 のかわかりませんが、この時期、まだ、暑さが残る中での開始だった
 でしょうね。だいぶ、日が落ちるのが早くなったとはいえ、明るいうち
 から踊り始めたことでしょうし。なんだかなあ…です。

 さて、氷ノ山登山の続き。頂上に着くとすぐ日射しを避けて避難小屋に
 入りました。小屋には先客が二人いたので、挨拶をかわすと、「さっき、
 登り道で追い越したときに挨拶してもらいましたよ」とひとりが言うと
 もう一人も「私も…」。どうやら、私が相手の顔も、ころくに見ずに
 挨拶してたのが、完全にバレたようで、みんなで大笑い。でも、自己弁護
 すると、帽子やタオルなどを外すと別人みたいに見えるものなんですよ。

 ひとりが、スノーモンスターの写真を見せてくれました。氷ノ山でも
 条件が合うと巨大な樹氷が出現するようです。他にも、白山が写ってる
 写真なども見せてくれました。条件がよければ、200km 離れた白山が
 ちゃんと見えるんですね。100km ほどの距離の大山が見えるというのは、
 驚きませんが、さすがに、白山が、ここまで、くっきりと見えるとは、
 思いませんでした。この方は、いつも、これらの写真を山に持ってあがる
 そうで、そのとき、そのとき会う人に見せているのでしょう。でも、
 確かに見るだけの価値がある写真でした。

 お弁当を広げて、昼飯を開始すると、小屋に荷物だけ置いてた人が、
 ふたり帰ってきて、その人たちも交えて、冬山もいいよ、いや、冬山
 だけは、自分らの実力を考えて、登ろうとは思わない、信州の山がいい、
 いや、遠くて、運転が大変だから、信州の山には登ったことがない…
 と、話に花が咲いて、楽しくおしゃべりしました。

 
 食事も終わって、一息ついて、小屋にいたひとりに、「あのー、もし、
 良かったら、鍋を貸していただけませんか?」と、思い切って声を
 かけました。頂上でコーヒーを飲むことを楽しみに登ってきたこと、
 頂上近くでマッチや、コッヘルを持ってくるのを忘れたことに気づいた
 ことなどを話したら、これまた、みんなに受けて、大爆笑。気持ちよく
 鍋を貸してもらえて、バーナーの使い方も、教えていただきました。
 鍋を置く部分が、折りたたみ式になっていて、これを開くと、大きな
 鍋でも安定して使えるようになってることや、なんと、マッチを忘れて
 きても、自動着火になってることとか、なんでも、高級?タイプで、
 火力が強いんだとか、持ち主の私が知らないことをいっぱい教えて
 もらいました。500ml の水を全部沸かすと、3人分のコーヒーの湯が
 できたので、鍋を貸してくれた方にも、コーヒーを飲んでいただくことが
 できました。しかし、ケガの功名というか、コッヘルを忘れていった
 おかげで、やけどをしないバーナーの取り扱い方から、ガスが少なく
 なったときにボンベの底を暖めると、火力を落とさずに済むという裏ワザ
 まで、小屋にいたみんなから、いろいろ教えてもらえてラッキーでした。

                                    つづく

2011年8月18日 (木)

お盆なのに、ほっとけ。 II

 登山開始から、ほどなくして、布滝に到着。

P8140005

 実物は、もっと、迫力あったんですけどね。写真はむつかしいや。
 登るにつれて、不動滝、木地屋跡、地蔵堂、トウロウ岩展望所(でも、
 トウロウ岩は判然としなかった)と、次々に見どころ?もあるし、
 ひえの水、弘法の水、一口水と、湧き水もある。ヤマジノホトトギスが
 たくさん、咲いてたし、季節には、イワカガミが咲き誇ることが容易に
 想像できるくらいツヤツヤとしたと葉が、びっしりありました。
 でも、勾配がキツクて、とにかく、しんどいこと、しんどいこと。実は、
 休みが合わなかったり、天候に恵まれなかったり、hanaちゃんの不具合が
 原因で、ここんとこ、3年以上、登山ができなかったせいか、想像以上に
 苦しい山行でした。休憩ばかりで、親水公園でお隣だった方より、かなり
 早く出発したはずなのに、あっさりと抜かれ、そのあとも、何人もの方に
 抜かれました。それでも、4時間ぐらいかけて、氷ノ山越えの避難小屋に
 到着。ここから、山頂までは尾根歩きのラクな道と喜んだのですが、
 確かに平坦で見晴らしのいいところもありましたけど、ほとんどが、
 尾根に至る登山道と同じか、ロープに頼らねばならないほどキツイ場所も
 あって、頂上間近の直線路にたどり着いたときには、11時を過ぎて
 ました。

 
 その頂上避難小屋まで、あと、ほんのわずかという道を登りながら、
 突然、マッチを持ってくるのを忘れたことに気づいたのでした。実は、
 去年の4月に、初めて大阪造幣局の通り抜けに行き、そのあと、大阪の
 街をブラブラと散策したときに偶然見つけた山の用具点で買ったバーナー
 やらガスボンベやら水を持ってあがっていたのです。山頂でコーヒーを
 沸かして飲むという夢の実現のために。でも、肝心のマッチを忘れた…
 でも、誰かに火を借りる手もあるか…と思い直して、山頂小屋が目前の
 ところを登っていて「あ゛~!」と、思わず声を出してしまいました。
 もっと、肝心な湯を沸かすコッヘルを持ってくるのを忘れたことに
 気づいたのでした。
 
                                   さらに、つづく

2011年8月16日 (火)

お盆なのに、ほっとけ。

 いつもの年なら、お盆の準備をして、迎え火を焚き、お供えをして、
 送り火を焚いて精霊流し(といっても、市役所がゴミ収集車で集めに
 来るだけ)まで、ひととおり、お盆の行事をこなすのです。
 でも、女房がパート勤務になってからというもの、まとまった休みが
 とれなくなってます。でも、お盆に4連休がとれたので、私も本来
 3連休しかないのに、個人休を一日くっつけて4連休にしました。
 で、お盆の行事をまるごと省略して4日間フルに遊ぼうと計画した
 のです。でも、お墓のそうじだけは、省略できないので、8月7日の
 朝から行こうとしたのですが、あまりに早すぎて花屋にシキビが入荷して
 なくて、昼頃には仕入れされるとのこと。昼前に花は買ったものの、
 とんでもない暑さにビビって、結局、お墓に到着したのは、16時半頃。
 女房のほうのお墓のそうじを済ませ、私のほうの墓に着いてみると、
 例年以上の草の量。なんとか、そうじを終えたのが、19時10分頃。
 車に乗って、我が家を目指してると、19時20分頃には、暗くなって
 しまいました。つるべ落としっていうか、ストンと日が暮れますね。

  
 貴重な4連休の1日目は、朝から遊びに行く準備。計画では、前日の
 夜には準備完了しておき、あわよくば、出発しようというものでしたが、
 私も女房も連日の猛暑にバテぎみだった上に、私は、NTTに電柱を
 借りるための申請を済ませておきたかったので、金曜日の早朝3時半頃
 から起きて申請書を書いて、NTTのポストに投函したのが、午前6時。
 その日の午前7時半には、担当者から「許可証の発行には、数日かかる
 けれど、なんだったら、もう、取り付けてもらっても構いませんから」
 と、親切な電話をもらいました。でも、肝心のカーブミラー本体や金具の
 見積もりをお願いしている会社からの返答が盆明け以降になるということ
 なので、その旨を伝えて、よくよくお礼を申し上げておきました。

  
 で、準備が完了したのは、わりと、早くて、10時頃だったのですが、
 そこから、なぜか、家を出るまでに1時間を要し、山に着いて、荷物を
 hana ちゃんに移して整理してたら、出発は、なんと、正午になりました。
 こりゃ、とりあえず、昼飯だぁと、豚カバ重を食べに行くと、スゴイ
 行列。あきらめて、じゃあ、ウドンでもと、動き出したのですが、車の
 量も多いし、スーパーに寄って、お弁当を買って、hana ちゃんの電子
 レンジで熱々にして食べました。これが、正解で、そのあとも、車の
 量があちこちで多くて、食べようと思ったウドン屋の前を通過したのが、
 1時間後。しかも、かなり広めの駐車場が満車に近い状態。おそらく、
 席に着くまで、時間がかかったことと思われ…

  
 R53を北上し、弓削から近道を通って津山インターに到着。そのまま、
 中国道を東進。山崎インターで降りて、R29を北上。途中、県道6号に
 入り、R429や県道を使って大屋から、山越えでR9をほんの少し
 走って、またまた県道を今度は西進。一ヶ所道を間違えて、福定スキー
 場のほうに行ってしまいましたが、引き返して、17時には目的地の
 福定親水公園に到着しました。ここが、氷ノ山の登山口なのです。

  
 お隣の車に断りをして、エンジンをかけて夕食用の炊飯。同時に家から
 持ってきた材料で副食も作り、夕食を済ませると、翌日のお弁当を
 こさえて、荷物も準備。19時過ぎには就寝しました。最初は、網戸を
 あけてましたが、冷気が流れ込むので、すぐさま閉めましたが、暑いと
 いうことはありませんでした。あまりに早く寝たので、途中、何度か
 目が覚めましたが、なんとか、5時頃まで寝て、朝の準備と朝食。
 6時18分には、登山開始…登山届けを出すのを忘れてたことに
 気づいて引き返し、6時25分に出発時刻の訂正。

 
                                          つづく

2009年9月24日 (木)

石鎚山 II


 国民宿舎で石鎚登山ルートの地形図が掲載されたパンフレットを
 いただいたので、じっくりと見て研究しました。しかし、土小屋と山頂を
 まっすぐに結ぶルートと、天柱石経由のルートとの関係が、イマイチ、
 よくわからなかったので、さらに土小屋へと情報収集に行きました。
 土小屋のロータリーのところにある案内地図に周辺の詳細な地図が
 あって、ようやく、パンフレットの地図では判然としなかった部分が
 ハッキリしました。第二駐車場のトイレのわきに、天柱石方面や、
 ツナノ平(なる)、西之川方面へと続く登山道の入り口があり、
 国民宿舎の駐車場の奥に、土小屋~山頂ルートに横入りできる
 登山道の入り口があるのでした。第二駐車場のトイレわきの登山道
 入り口は、実際に確認してみると、なんだか、ほとんど整備されて
 いないケモノ道みたいな登山道でした。この天柱石コースは、せっかく、
 1400m以上の高度にある駐車場から、わざわざ、約400mほど
 下って、夜明峠までの標高差500mをいっきに急登するという
 よっぽどのスキ者か、Mっ気のある人でないと選ばないコースなので
 人気もなく、登山道の整備も行き届いていないように思えます。

 夕食の準備をし、食べて片付けて、明日の登山の準備を済ませても、
 まだ、午後7時。前の晩は、3時間ちょっとしか寝てないので横になれば、
 眠ることはできそうですが、夜中に目が覚めてしまって、困ってしまう
 ことでしょう。といって、ワンセグTVも「受信できません」と、つれないし、
 さて、どうやって時間をツブそうかということになりました。

 いつかは、こんなこともあるだろうということで、積み込んでいた碁石と
 碁盤を取り出して、女房に囲碁の手ほどきをしました。「生き死に」と
 「コウ」と「目」と「セキ」あたりを盤面に並べて教えましたが、理解でき
 なかったでしょうねぇ。とにかく、実戦ということで、25子局という
 スゴイのをやりました。3線から下に石を置くと、ことごとく、私に石を
 取られちゃうので、怖がって4線より上にしか石を置かなくなって、
 4隅と3辺半くらいが私の陣地になり、おまけに、十数子の大石を
 殺してしまったので、数えるまでもなく、百目くらい勝っちゃいました。
 ルールはともかく、何をどうすればいいのか、さっぱりわからない
 状態だったハズで、もう少し、ちゃんと手ほどきしないと無理かな?
 でも、内容はどうあれ、一局打ったので、それなりの時間を要して
 時刻は9時を過ぎていました。外は、満天の星で、ジュピター、天の川、
 秋の四角、北斗七星、スバル、カシオペア、北極星と知ってる限りの
 星を女房に教えて、就寝しました。

 夜中に二度ほど目が覚めて、駐車場のトイレに行きました。最後は
 熟睡できて、起床したのは、5時半ごろです。第二駐車場での宿泊組は、
 全部で5組。我が家と、お隣の軽キャンパーと、あとの三台は、車の横に
 テントを設営してのお泊まりでした。朝食を済ませ、昨夜、ほぼ、支度を
 済ませていたワリには、準備に手間取り、あげくに、軍手が一組、
 行方不明になって、十分近く、わあわあ、探してるうちに、お隣のご夫婦は、
 お先にと出発してしまいました。結局、出発は、午前7時を過ぎました。

Img_2889

 国民宿舎の敷地から見た第二駐車場。クリックして拡大すれば
 土木機械と四駆車の間にテントが設営されてるのが、わかるで
 しょうか?その左手の赤い屋根の建物がトイレで、さらに、その
 左に看板らしきものが、いくつも見えると思いますが、そのあたりに、
 天柱石方面やツナノ平、西之川方面への登山道の入り口が
 あります。

 土小屋から二の鎖前鳥居までは、等高線に沿った尾根道で、
 急坂もなく、距離をかせげます。

Img_2909_2

 ときには、小さな谷を渡る、こんな桟道にも出くわしますが、道は、
 よく整備されていて、とても歩きやすくなっていました。それに、
 この季節にしては、花が豊富で、目を楽しませてくれます。

Img_2911
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 特にリンドウは、たくさん咲いていました。行きにはツボミだったものが、
 帰りには、いっせいに開花して、我々を見送ってくれたのでした。

Img_2955

 まばゆいばかりの好天にも恵まれました。

Img_2892

 やはり、山は天候がイチバンです。

Img_2896

 二の鎖前鳥居には、午前9時ごろに到着しました。出発してから、
 約2時間の行程ですね。先に出発したはずの軽キャンパーの
 ご夫婦は、出発前に国民宿舎で買い物をしてたとかで、その間に
 私たちは追い抜いていました。この鳥居でも、私たちが休憩を
 終えて出発するころに、到着してました。

Img_2913

 鳥居を出発すると、いよいよ、鎖場です。

Img_2917

 まずは、二の鎖。ここで、女房はへろへろになり、迂回路を行くことに。
 二の鎖の上部には、さらに、半封鎖の状態の鎖場がありますが、
 こういうのを登るのが大好きな私は、これも、登っちゃいました。

Img_2919

 さらに、三の鎖。わぉ~です。

Img_2923

 よく見ると、早くも紅葉してますね、私は、高揚していて、そんなこと
 どころではありませんでした。さすがに、この鎖場は、いっきに登る
 ことができず、後続の方に道を譲って、しばし、息を整えなければ
 なりませんでした。

Img_2926

 弥山山頂には、10時前に到着。登山口からの所要時間は、休憩を
 しばしば、取りながらでも、2時間40分くらい。決して、キツイ登山では
 ありません。

Img_2935

 天狗岳を見ながらの早い昼食でしたが、たっぷりと食べました。
 昼食後は、天狗岳に登ってみてもいいかなと思ったのですが、
 女房は「行かな~い」と言うので、下山開始。11時ごろだったと
 思います。

Img_2937

 紅葉は始まったばかりという光景でしたが、ナナカマドの赤い実が、
 青空に映えてきれいでした。

 下りの二の鎖前鳥居のところで、ちょっとした事件に遭遇しました。
 成就社からのルートと合流地点なのと、階段に腰掛けて休憩する人が
 多くて、ごったがえした状態になっていたのですが、分岐から、土小屋
 方面に向かう入り口のところで、30代半ばの女性が、道のはずれから
 足を踏み外し、声も立てずにスルスルとすべり落ちて、両手のひら
 以外は、道の面より下という状態になってしまいました。さいわい、すぐ
 近くにいた、ふたりの人に手をつかまれ引き上げられて、大事には
 至らなかったのですけど、山では、どんなところでも、事故と隣り合わせ
 だということを目の当たりにしてしまいました。

Img_2943

 行きと同じ道を帰るのですが、視点が変わると新たな風景を
 見つけたりします。

Img_2953

 かなり下って、鶴ノ子ノ頭近くですが、今回の石鎚登山で、一番、
 気に入った風景です。土小屋~山頂ルートは、視界が開けて
 見晴らしが良く、また、登りたくなりました。

Img_2961

 駐車場が見えてきました。その向こうには土小屋の建物も見えます。

Img_2962

 駐車場では、hana ちゃんが出迎えてくれました。到着は、午後1時
 過ぎ。全行程6時間の山行きでした。

石鎚山 I

 いつかは、登りたいと思いながら果たせていなかった西日本最高峰の
 石鎚山登山。千円高速の恩恵を受けて登ってきました。最初は、
 ロープウェイ側から登るつもりでしたが、結局、駐車料金も乗り物代も
 いらない土小屋からのルートに変更。土曜日の夜中に岡山を出発し、
 日曜の朝、松山市内で登山ルートなどの情報収集をしようと、県庁に
 寄ったのですが、観光に関するパンフレットなどは、置いてません
 でした。で、近くのホテルで観光マップをいただいたのですけど、
 石鎚山の登山マップなどはなくて、まあ、なんとかなるだろうと、まずは、
 温泉につかるために、いただいた観光マップとウロ覚えの情報とナビを
 使って、たかの子温泉を目ざしました。東道後温泉は、アルカリ度の
 高い温泉が多いのだそうですが、中でも、たかの子温泉が、最も
 アルカリ度が高いと、何年か前の松山オフのときに、教えてもらって
 いたのでした。

 さて、ナビ上は、現地到着のはずなのに、たかの子温泉がありません。
 すぐ近くの老健施設の方に尋ねてみると、何年か前に閉鎖されたとの
 ことで、跡地は更地になっていました。あとで調べてみると、閉館日は
 2007年10月30日だったようです。しかたがないので、すぐ近くにある
 久米之癒という温泉施設に向かいました。料金は450円で、清潔な
 感じの施設でした。そして、なによりもうれしかったのは、ぬるぬるの
 アルカリ泉。なんと、洗い場のカランやシャワーも、このぬるぬるの
 湯なので、石けんを洗い流しても、ちゃんと、流れたかどうか、わから
 ないくらい。源泉掛け流しの表示がある、ちょっと、ぬるめの露天風呂で
 ぬるぬるの湯を楽しみました。地元の方らしい入浴客に聞いてみると、
 たかの子温泉は、やはり、もっともっと、アルカリ度が強かったようです。

 湯からあがると、飲用の温泉があったので飲んでみました。これがまた、
 つるりと、まったく抵抗なく舌の上を通り越して喉に直接流れ込むもの
 ですから、あやうく、むせそうになったほどです。お一人様2リットルなら、
 汲んで帰ってもいいとあったので、出るときに車までペットボトルを取りに
 行って、汲ませてもらいました。この温泉水でコーヒーをいれてみましたが
 かすかにクセがあるものの平凡で、ナマで、そのまま飲んだほうが、
 よっぽどおいしく感じられました。

 お湯で、さっぱりしたら、お腹が空いてきたので、石鎚山の登山口に
 向かいながら、おいしそうな店を探しました。しかし、なかなか、見つからず、
 どんどん、空腹度は増してくるし、スーパーを見つけたので、焼き鯖弁当を
 買いました。女房は、何か別の弁当を買って、車に帰るのは、めんどう
 だと言って、スーパーの中で買った物を食べたり飲んだりできる休憩所
 のようなところで食べ出しました。私は、車の電子レンジで熱々に
 あっためて、インスタントのみそ汁も作って、おいしく、いただきました。
 スーパーでは、その日の夜に食べるもの、翌朝食べるもの、山に持って
 あがって、弁当として食べるものを作るのに必要な食料を買い込みました。
 米と野菜は積んできたので、パンとバター、唐揚げや、ソーセージ、
 モツ鍋の材料などです。

 松山市内からは、国道33号線を南下し、左折して県道12号に入ります。
 県道12号線は、もみじライン、石鎚スカイラインと、途中、名前を変えます。
 全線センターラインのある二車線ですが、勾配とカーブがきついので、
 hana ちゃんでは、トップで登ることができず、ほとんど、サードでした。
 それでも、なんとか、土小屋に到着できましたが、時刻は、16時半を
 まわっていました。石鎚スカイラインは、18時~翌朝7時までの夜間は、
 入り口のゲートが閉められて通行止めになります。ですから、この時間帯に
 なると、残り時間が少ないので、かなり、ガランとしているかと思ったら、
 まだまだ、けっこーな数の車がいました。

Img_2879

 私は、土小屋よりも、もっと、奥の国民宿舎石鎚の下にある第二駐車場に
 車を駐めて、翌日の登山に備えることにしました。

                                        つづく

2008年9月21日 (日)

蒜山


 最近、どうも、更新が滞りがちです。蒜山に登ったのは、先週の
 日曜日のことで、書こう書こうと思いながら、日が過ぎていって
 しまうんです。爺ヶ岳には、IV があるんですけど、二ヶ月も経った
 今となっては、さすがに書きづらい。こんな調子では、昨日行った
 ツーリングについて、書く日が来るのかどうか、ちょっと、疑問です。

 朝早く自宅を出るつもりが遅くなってしまい、中蒜山の登山口に
 到着したときには、午前9時前になっていました。さあ、登り始めた
 ところで、忘れ物に気づいて、車まで戻ったりで、結局、登山開始は
 9時15分でした。二合目までは、ほとんど、平坦な道で、むしろ、
 下りになってるところもあるほどでした。涸れ沢を何度か渡って、
 三合目からは、ひたすら、登り。

Img_1410

 尾根を直登する↑↑↑んな道が、ずっと、続きます。日が差し込まず、
 花は少なくて、

Img_1401
Img_1407

 キノコばかりが目につきます。まわりは、樹木ばかりで、まったく
 眺望はききません。五合目に小さな祠があり、このあたりから
 少し傾斜がゆるくなりますが、七合目から、またしても急傾斜の
 登山道になります。特に八合目付近は岩肌が出ていて、濡れて
 いるもんですから、一度、派手に滑って転んでしまいました。
 それでも、登りだから、まだ、ダメージが小さいのですけど
 同じ道を下ろうという気持ちにはなれません。

Img_1412

 九合目あたりまで、眺望の開ける場所はありませんでした。天気は
 良かったのですが、あいにく、少しモヤが、かかっていてスッキリとは
 していませんが、蒜山高原全体が見渡せます。

 標準的な所要時間は、110分とのことですが、頻繁に休憩を取りながら
 登ったので、150分ほどかかりました。中蒜山頂上、1,122mの標識を
 背もたれにして昼食を摂りました。

Img_1425

 少し、ガスってきましたが、上蒜山へと縦走することにしました。

Img_1422
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Img_1431

 縦走路沿いには、リンドウ、ナデシコ、ツルニンジンなど花が豊富で
 目を楽しませてくれました。ツルニンジンは、葉、蔓、根のすべてに
 薬効があるそうで、滋養強壮、疲労回復、切り傷、抗ガン作用などが
 あるそうです。キキョウ科の植物ですが、根が朝鮮ニンジンに似て
 いるので、この名がついたようです。

Img_1433

 マツムシソウも咲いていました。オタカラコウも多くみかけましたが、
 花は、ほとんど、終わっていました。眺望が良いところも、たくさん
 あって、この縦走路は、お気に入りに追加しておくことにしました。

Img_1436

 いよいよ、下山路から、上蒜山登山口を見下ろす位置に来ました。
 麓の右手に見える牧草地は、冬期には上蒜山スキー場のゲレンデに
 なります。

 午後4時過ぎに、下山終了。約7時間の行程でしたが、好天に
 恵まれ、暑くも寒くもなく、気持ちの良い山行きでした。めでたし、
 めでたし…で終わるハズでしたが、中蒜山から登って上蒜山に
 降りたのですから、中蒜山の登山口まで戻らねばなりません。
 タクシーを呼べば、2100円で運んでくれますが、なーに、山坂を
 行くのではなく、平坦路だし、歩いちゃえと強行したのが、間違い
 でした。山裾に最短路があれば、3kmほどの道のりでしょうけど、
 牧場の中の道は、川や隣地との境界などで、いつ、行き止まりに
 なるかわかったものではないので、確実な道を行くことにしました。
 あとで、調べてみましたが、これは、正解だったようで、いったん、
 サイクリングロードまで出て、塩釜冷泉入り口から、ふたたび、
 登山口に向かうという、およそ、6kmの道しかないようです。
 それでも、時間と体力さえあれば、冒険を兼ねて行ってみたかも
 知れませんが、膝が大笑いし、太ももがヒクヒクとひきつっている
 状態で試す気力はありませんでした。まずは、蒜山ジャージー
 牛乳を飲みたいので、道の駅までの道を急ぎました。5時には、
 閉店するかも知れないからです。なんとか、5時10分前には
 到着したのですが、どうやら、牛乳は売り切れたようで、代わりに、
 ミルク+バニラソフトクリームを食べてライフ値を5ポイント回復させ
 ました。道の駅から、中蒜山登山口までは、およそ、2.5km。
 女房に荷物を預かってもらって、私ひとりで向かいました。あとで
 考えると、この道の駅には、レンタサイクルがあるので、自転車を
 借りて登山口まで行き、自転車を車に積んで帰ってくれば楽勝だった
 のでした。でも、道の駅の売店は6時までの営業ですが、サイクル
 センターは5時までだったようなので、結局、ムリだったようなのです
 けども。売店のほうも、5時半を過ぎると、片付けを始めて、とても
 店内で休憩していられる状態ではなくなったので、店外に荷物を
 運び出したと、女房が言ってました。

 帰りの車を運転するにしても、アクセルを踏む足が、ひきつりそう
 だったので、蒜山高原内の日帰り入浴施設快湯館に向かいました。
 ごったがえしの中、なんとか、脱衣ロッカーを確保し、露天風呂に
 直行して湯の中で足を伸ばすことができた瞬間から、じわーっと、
 体内に生命がよみがえってくるのを感じることができました。

2008年8月13日 (水)

爺ヶ岳 III

 扇沢から種池山荘へと至る登山道は、柏原新道と名付けられています。
 よく整備されて歩きやすいという定評があるようですが、登り始めは、
 なかなかの急登で、30分ごとに、一休みというペースで、息が上がって
 しまわないように気をつけました。三回目の小休止の前後だったと
 思いますが、虹を見ました。

Img_1332

 柏原新道がある尾根と谷をはさんで向かいの尾根との距離を地形図
 測り、虹までの距離を推測すると、300m足らずということになります。
 あとから、登ってきた親子連れに虹が出てると教えると、親は、虹を
 指さして子供に教えてましたが、子供のほうは、さほど興味を示した
 様子はありませんでした。次に、年配の男性が登ってきたので、
 その方にも、教えましたが無視されました。

 この日の朝に、扇沢の駐車場で、トイレに行こうと車から降りたら、
 向かいに駐車した人が見えたので、おはようございますと、挨拶を
 しましたが、返事がありませんでした。まあ、扇沢は、黒部アルペン
 ルートの起点ですから、トロリーバスに乗る観光客なら、見知らぬ人に
 挨拶されても、妙に思うだけって人がいても不思議はないかなと、
 そのときは、思ったのです。しかし、山で挨拶して無視されたことなど
 なかったので、ちょっと上の場所で休憩してた、その虹の件の爺さんに、
 もう一度、挨拶をしました。虹のことを言ったときに、ちゃんと伝わらず、
 答えようがなくて無視したかっこうになったのかなと思ったからです。
 しかし、二度目の挨拶も、見事に無視されました。この爺さんだけでは、
 なくて、その後、上から下りてくる人の中にも、挨拶に返答しない人が
 何人もいました。全員、爺さんです。

 山登りのペースは、それぞれ違いますから、休憩のタイミングも、
 それぞれ、違います。ですから、抜きつ抜かれつ、同じグループ、
 同じ人に何度も会うことがよくあります。休憩する場所は、なるべく、
 邪魔にならないところを選びますが、なかなか、適当なところがなくて
 さほど広くない場所で休まざるをえないときもあります。こうしたとき、
 後続の登山者に迷惑をかけることになりますが、逆に、他のグループが
 休憩してる横を通り抜けるときに、歩きにくいこともよくあります。
 つまり、お互いに迷惑をかけあうのだから、挨拶は必須だと思うのです。
 山での挨拶には、もうひとつの重要な意味があって、万一、遭難した
 場合、なるべく多くの人に覚えてもらっておくことは、一種の保険になると
 ハズです。遭難とまでいかなくても、小さな怪我をしたとしても、助けを
 求めなければならなくなるかも知れません。そんなとき、ころくに挨拶も
 していない人に助けを求めるのは、やりにくいでしょ。逆に、助ける側に
 まわるなら、挨拶を無視した人にも手を差し伸べますが、助けを求めて
 いないのに、こちらから、何か困ったことでも?と、尋ねるかどうかは、
 微妙です。人はひとりでは生きていけませんが、それ以上に、人は、
 ひとりでは山に登れないと思うのですけども。まあ、そんな実利的な
 ことだけではなく、せっかく、同じ山に同じ日に登ってる仲間なのですから、
 一緒に楽しめたほうがいいと思います。ライチョウが、ホラあそこに。
 この先の雪渓は、上側の道をトラバースしたほうがいいよ。その先に
 白い花のコマクサがありました。こうした情報を得るだけで、より楽しめ
 たり、より安全に山登りできるのにと思うのです。

Img_1335

 シラネアオイを見つけました。この花は、なかなか、近くでみることが
 できないのです。たいていは、登山道の、ずっと下の谷に咲いていて、
 近寄ることができません。爺ヶ岳では、道のすぐ上のところに咲いていて、
 アップで写真を撮ることができました。

2008年8月 9日 (土)

爺ヶ岳 II

 私たちの山行きパターンは、登る日の前々日の夜中に自宅を出発し、
 前日に山麓の町で食料品を買ったり、温泉に入り、登山口近くで、
 車中泊をして、当日、早朝から登り始めるというものです。今回も、
 いつものように、まずは大町温泉薬師の湯に入って、大町のスーパー、
 アップルランドで50%引きになった寿司と、登山の弁当のおかず用に
 芥子明太子などを買い込んで、扇沢には、19日の17:00頃に
 入りました。扇沢の駐車場は、4段になっていて、上のふたつは、
 有料。下のふたつは、無料駐車場です。これらとは別に、扇沢の
 入り口直前の左側に市営駐車場があり、これも、無料です。

Img_1329

 到着したときには、上ふたつの有料駐車場には、ほとんど、車は
 駐まっていませんでしたが、下ふたつの無料駐車場は、2、3ヶ所しか、
 空きはありませんでした。そのうちのひとつに、hana ちゃんを停めて、
 周辺を歩いてみると、山沿い部分に、未舗装の駐車スペースがあり、
 ゆったりと駐めることができそうな場所が空いていたので、そちらに、
 移動しました。翌日用にお茶をわかしたり、米を炊いて、おにぎりを
 作ったり、タイムサービスの寿司で夕食をとったり、翌日の装備を点検
 したりしました。ふたり、揃って、少し頭が重く、軽い風邪の初期のような
 症状が出ていました。これは、おそらく、来る道中、エアコンが効かない
 ものだから、窓を全開にして、風に当たりすぎたのだろうということに
 なり、翌朝も早いし、20:00頃には、就寝しました。

 さすがに、早くから寝たので、夜中の2時半頃に、一度目が覚めて、
 扇沢駅のトイレに行き、少し、温度も下がってきたようなので、網戸も
 半分閉めて、寝袋を掛け布団のように使えるように開いておきました。
 目を閉じて横になっていても、なかなか、寝付くことができないまま
 でしたが、ときおり、うとうとしていたりするうちに、再び、寝入ったようで
 女房に起こされて、やっと、起きたのは、5時近くになっていました。
 トーストとインスタントコーヒーで朝食を済ませ、6時に出発しました。

 扇沢から爺ヶ岳の登山口までは、歩いて10分くらいでした。登山口には
 小さなテントが建てられていて、登山届けを受け付けていたので、提出
 しておきました。

2008年8月 7日 (木)

爺ヶ岳 I

 登ったのは、先月の20日のことなんですけど、登山直後の疲労と
 連日の猛暑で、ついつい、登山記のアップが遅くなってしまいました。
 パソコンのあるコクピットには、エアコンがないので、だらだらと、
 居間でTVを見る時間が長くなってしまったというのも、アップが
 遅れた理由のひとつです。とはいっても、居間のエアコンを入れたのは
 1、2回だけです。寝室のエアコンも、めったに動かさないですね。
 ウチは、夫婦そろってエアコン嫌いなので、全部屋あわせても、
 年間作動日数は一桁だと思います。数年前までは、年に一度使うか
 どうかという状況でした。寝室と居間にエアコンを設置したのが、
 平成13年のお盆過ぎ、夏よサヨナラセールで安くなったエアコンを
 購入してからのことですから、それまで我々夫婦は、まったくの
 エアコン無しの生活でした。もっとも、子供たちが、そのぶん、
 それぞれの部屋でバンバン使ってましたけど。

 18日の夜、岡山を出発したものの、眠くなって、お隣の兵庫県にも
 入っていない福石のパーキングエリアで仮眠しました。目が覚めて
 再び出発したのですが、また、眠くなって、三木小野のサービス
 エリアで、再び、仮眠…のつもりが、目が覚めたら、朝の7時に
 なっていました。三木小野では、よく、宝塚ホテルのパンを買って
 食べるのですが、まだ、焼き上がってなくて、店頭にパンが並んで
 ませんでした。結局、手持ちの食料で簡単に朝食を済ませました。

 三木小野を出てすぐ、hana ちゃんのエアコンの効きが悪いことに
 気づきました。そういえば、昨夜は、クーラーベルトが滑る音が、
 ずっと、しどおしだったのです。あとで、見てわかったことですが、
 クーラーベルトは、二本掛けになっていて、そのうちの一本が切れた
 ために、残る一本で、コンプレッサーを回して回しきれずに、滑って、
 音が出ていたようです。そんな状態で、エアコンをかけたままだった
 ため、一本残ったベルトは伸びてしまって、コンプレッサーをまったく
 回すことができなくなってエアコンが効かなくなったというわけです。
 伸びきったベルトをそのままにしておいて、万一、どこかに巻き付いても
 面倒なので、カッターナイフで切って取り除いておきました。これらの
 確認と作業をどこのサービスエリアで行ったのか覚えていません。
 やはり、登山記などというものは、記憶が鮮明なうちに書くものですね。
 女房のおぼろげな記憶をあてにするなら、中央道に入る前、おそらく、
 養老SAあたりで、エアコンが効かなくなった理由を知り、そのまま、
 走って、やっぱり、伸びきったベルトが、からみついたりするとイヤ
 だからと、切って捨てたのが虎渓山PAあたりだったということのようです。
 家のエアコンなら、かけなくても大丈夫ですが、車のエアコンがないと
 なると、話は別です。窓を開けて、順調に走ってるときには、風を受けて
 そこそこ、涼しいのですが、渋滞に差し掛かると大変です。7月19日は、
 3連休+夏休み開始+事故渋滞で、大阪から、米原あたりまで、断続的な
 停滞に何度も遭いました。この日には、北陸道の米原の先で事故による
 通行止めも発生してました。防音壁の陰は助かりましたが、トンネルの
 中は、風を取るべきか、排気ガスが入ってくるのを防ぐべきか、判断が
 微妙でした。

 恵那山トンネルを抜けると、高原の風が窓から入ってきて、車の流れも
 順調だし、遠望が効いて、南アルプスの山並みがきれいでした。駒ヶ根
 では、2001年に、ヒメウスユキソウを見に行った木曽駒の千畳敷を
 高速道路から、バッチリ、見ることができました。

Dsc00005

 その後は、順調に進んで、豊科を下りたのは、午後2時半ごろでした

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