4723 km
一ヶ月の放浪の旅から帰ってまいりました。昨日は、ひたすら休養と、
旅の間に溜まった新聞の読破に努めました。結局、半月分を読了し、
残りは、数日かけて、じわじわと読んでいくつもりです。旅の間、
ニュースは、つとめてチェックしていたつもりですが、ネットだけでは、
どうしても、漏れを生じてしまうということを改めて痛感しました。
新聞でも読み落としは生じますが、紙面構成上の理由から、大事な
ニュースほど、見落とす確率が低いのですね。一方、ネットの場合、
見出しの文字は同じ大きさなので、重要度の差は順番くらいしかないので
見落としが生じるのかと思ったのですが、そもそも、見出し一覧に、
10個ぐらいしか並んでないので、11番目以降のニュースは、必然的に
見逃してしまうってことに気づきました。それに、どのニュースサイトを
利用するかの選択を間違えると、週刊誌的なネタには強くなるけど、
そのぶん、重要なニュースを見逃す確率が上昇してしまうということを
痛感しました。いや、これは、元々、私が週刊誌的なネタに、興味を
覚えるタチなので、ひとつのニュースから、次々と関連ニュースの
リンクをクリックしてしまい、さらに、拾ったキーワードで検索かけて、
よりディープに週刊誌ネタを追求してしまうという傾向があるせいかも
知れません。つまり、新聞の、網羅性以上に、抑制機能の働きが、
興味本位の記事に溺れるのをふせぎ、結果として、重要度に沿った印象で
ニュースに接することを助けるのではないかと思ったのでした。
自宅のキッチンを使ってみて、ああ、なんと、使いやすく衛生的なのかと
一種の感動がありました。まずは、広さがあるので、洗ったり切ったり
煮たりという、いくつかの料理の過程を並行して行うことができる効率の
良さに満足を感じました。次に、充分な照明の下で料理すると、食材の
傷んだ部分の発見が容易なこと、たっぷりと水が使えるので、食器も、
きちんと洗浄できることなど、ふつうにキッチンだけで料理していると
見逃すようなことが再発見できました。そのことに気づけば、トイレに
しても風呂にしても、いちいち、車から降りて施錠して行かなくても、
「家の中」で、すべて事足りるというのは、これはもう、王侯貴族の
生活です。もっとも、トイレもシャワーも完備しているキャンピングカー
だって、存在してますが、それはそれで、限られたスペースの割り振り
なので、別の使い勝手を犠牲にすることになります。あれもこれもと、
すべての機能を詰め込むと、今度は、スペース自体つまり車を大きく
せざるを得ないので、運転性や駐車場所の確保などに支障が出てきます。
家とキャンピングカーを単純比較しても、詮無いことで、それよりも、
自宅での家事の快適さからキャンピングカー内での、どこが問題点かを
発見し、少しでも解消できる方法はないかと考えて、解決のための改善を
施せば、それはそれで、遊びになります。一方、キャンピングカーでの
不便さをガマンしてまで、なぜ、あちこちに出かけたいのかを考えて
みて、たとえば風呂は、温泉だったり、スーパー銭湯だったり、手足を
充分に伸ばすことができるからという気づけば、自宅に湯屋を自作して
大きな浴槽を作ることを考えるとか、里山に露天風呂を自作するとか、
たとえ、実現しなくても、そういうことを想像すること自体が、充分に
楽しいこととなります。
とはいえ、この一ヶ月の放浪は、非日常であって、さて、この先、日常を
どのように組み立てていくと、「老後生活」の品質を高めていくことが
できるのか、大きなテーマを抱えてしまったものです。それをいえば、
これまでだって、どのように働けば、やりがいのある仕事ができたのか
という大きなテーマを抱えていたわけですが、自覚の不足から、結構、
うかうかと過ごして来ました。もっと言えば、生まれ落ちたときから、
どのように生きれば充実した人生を送ることができるかというテーマを
抱えてきたワケで、そのテーマに関しては、今、かなり重要な局面に
さしかかっているんですけども、なんとなく、その答えは、ある程度の
高みを持った「あきらめ」ではないかと思っています。それは、分を知る
というようなことに近いとは思いますが、還暦の若僧は、あせって答えを
出すことなく、もう10年くらいは、あくせくしてみてもいいかなと
考えています。その過程が、第二の青春というようなものになれば、
たぶん、大成功でしょう。
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